すべて世はこともなし 河童の件 第肆話
「あー緑!あー自然!夏ですねー!」
サツキはニコニコと畦道を駆ける。
サツキの荷物はなぜかアシヤの倍近くあった。にもかかわらず、汗をだらだらと流してあえいでいるのはアシヤの方だった。
「暑い……なんでバスが通ってないんだ……」
「人口がすごく少ないって言ってましたからね~。あと30分ぐらいですよ、頑張ってください!あ、なんなら私が応援してあげましょうか?フレーフレー!アシヤさん!」
元気よく周りをうろうろするサツキに、アシヤは叫ばずにはいられなかった。
「うるせえ‼蝉よかやかましいわ‼」
「人を蝉呼ばわりだなんてひどいですよ~。アシヤさんだって、動物園の熊でもそんな猫背になんないですよ!」
「……なんでお前はそんなに元気よく喚いてんだよ……!」
「え?だってなんかここ、すごく懐かしい感じがするんですよ!そわそわするっていうか!」
カガリはそう言って深く息を吸い込む。植物の瑞々しい葉の香りと夏の太陽に灼かれる土の匂いが混ざり合う。
冷ややかな目のアシヤは首元の汗を拭い、遠くにある山々を見つめる。
「……その感覚は間違ってはいない。本来なら無形文化遺産に選ばれるほどに、この地域の景観は昔から変わっていないからな」
「へえ、となるとどれぐらいですかね?」
「江戸時代初期からだから、ざっと400年前だな」
「よ、400年⁉」
「流石に建築物は現代仕様になりつつあるが、人が住む地域以外はほぼ手つかずだ」
「それって……」
驚いているサツキを見ながら、アシヤは歩き出す。
見ている方の腰が痛くなってしまうほどに、その背中は曲がっていた。
「そう、『人ならざるもの』だ」
***
むかしむかし、あるところに、小さな村がありました。
その村には人が数えるほどしかいませんでしたが、キュウリやなす、白菜にふきと、それは多くの野菜が育てられていました。
なぜその村では多くの作物が実っていたか。
その理由はこの土地に住むたくさんの河童が知っていました。
「かっぱさん、かっぱさん。今年は何を育てたらいいんだい?」
村人がそう聞くと、河童は数粒の種と作物の育て方を彼らに教えました。
その通りにすると、その年は両手で抱えきれないほど多くの作物が実るのでした。
「かっぱさん、かっぱさん。お相撲ごっこをしよう」
村の子供がそういうと、河童は子供たちと力比べをして遊びました。
河童と遊んだ子供たちは、その年は病気になることなく健康に過ごすことができました。
村人は河童を慕い、河童も村人を慈しんでいました。
村では年に一度、河童と村人が豊作を祝う祭りが行われていました。
そこで河童たちは、村人が育てたたくさんの野菜を食べることができるのでした。
***
「ここら一帯は、様々な存在の霊気が混ざっている。人なんかより妖や神の方が多いと言ってもいい」
「神様……ですか?」
「そう。この国には『八百万
「人より妖さんや神様の方が多いなんて、全然想像できないですね~。今だってほら、全然誰ともすれ違ってないじゃないですか!」
「彼らは普段常世にいるからな。人と仲良しごっこなんかやってられないんだろう」
「う~ん……でもそれだったら、最初から追い出してるんじゃないですか?人のこと」
「そこまでやるほどの相手でもない。こちらに害さえなければ何もしない。連中はそういう性質だ」
「ふぅん……」
サツキは口をとがらせ、辺りを見渡す。
視界に写るのは、変わらず青々とした緑と田んぼに貼られた水のきらめきだけだ。
ひゅう、とふいに風が吹いた。
夏の暑さを吹き飛ばすとまではいかないが、二人の汗をほんの少し揺らめかせた。
「毎回これだけ風が吹いてくれれば、僕は……」
「あ、そうだ!アシヤさんこれとかどうですか?」
サツキはごそごそとリュックを探り、ハンディファンを取り出した。
それは電池によって動くものではなく、手でレバーを押して羽根が回る全手動式だった。
カガリは無理やりアシヤにそれを押し付ける。
「デパートへ買い物に行ったら記念でもらったんですよ!よかったら使ってください!」
「いらねえ!余計暑くなるわ‼」
「まあまあ!アシヤさんなら凄腕の術で暴風にできますよきっと!」
「誰がやるか!そもそもこんなところで術なんか使ったら、変なもんが寄ってくるに決まってる……!」
「その辺はちゃんとしないといけないんですね!」
「当たり前だ……僕らのいる町とは条件が違う。人が圧倒的少数の中で粗相なんかしたら、祟りどころじゃすまないぞ……」
「じゃあ……今から行く村の人たちは、妖さんや神様と『共存』してるってことですね!」
アシヤの話を聞いて俄然やる気が出たサツキは、ずんずんと大地を踏みしめ進んでいく。
数メートル先で振り返り、手を振る。
「アシヤさ~ん!早く行きましょう~!いっぱいお話聞かなくちゃー!」
その様子を眺めながら、アシヤはだらだらと流れる額の汗を拭い、まぶしげに目を細めた。
「『共存』……ね」
一行は田舎道を進む。一軒の屋敷を目指して。まだ日は上っている途中だ。