すべて世はこともなし 天邪鬼の件 第弐拾話
「あっ!」
サグメの横でキコと折り紙をしていたカガリが、突然声を出した。
「なんだよ」
「アシヤさんから伝言があったの忘れてました‼」
「おいおい……そっちの方が重要そうじゃないのか?」
「いや、それがあんまりよくわかんないんですよ。労ってるのか貶してるのか」
「……あまり聞きたくないな」
嫌そうな顔をするサグメに向けて、カガリは棒読みで預かった言伝を読み上げる。
「『鏡の件は問題ない。まずは体調を元に戻すのが最優先だ。退院したらまた話そう』」
「……」
考え込むサグメの頭に、ヌラが軽く拳骨を当てた。
「儂のおかげで命拾いしたんだぞ。一生かけてでも恩を返せよ!」
「……じいさん」
「あ?」
「……その……悪かったよ」
「お?今日は妙に殊勝だな。呪いと一緒に悪いもんも流れたかな?」
がっはっはと笑うヌラの横で、サグメが不機嫌な顔でそっぽを向く。
そちらにはカガリの満悦そうな顔があり、サグメは顔を少し赤くしながら歯ぎしりした。
「……あ、あと最後に」
「まだなんかあるのかよ」
「こっちはカスミさんのメモですね。えっと――」
カガリがごそごそとポケットを探り、紙を取り出す。
それを見たカガリは怪訝そうな表情をしながら、それを読み上げた。
「――『戸締りには気を付けて』」
***
夜の病院は騒がしい。
夜行性の妖が多いため、昼間に眠っていた者が目を覚まし談笑している。
個室になっている病室は妖の病院にはないため、プライバシーも何もあったものではない。
だが、それは今のサグメにとって好都合だった。
誰かがいれば、向こうも手を出すことはないだろうと、カスミたちも踏んでいるのだろう。
――わからない。
向こうがこうも簡単に俺と手を切るとは考えられない。
俺の命はもう何度も刈られているてもおかしくはないのに、あいつはそれをしない。
「……俺なんかにそんな価値はないのに」
つぶやき、目を閉じる。
キコたちの顔が浮かぶ。
俺をそんな目で見ないでくれ。
俺はお前が思ってるようないい奴じゃない。
あのクソ野郎の子供が、いい奴なわけがない。
……だが、弟は別だ。
あいつは鬼らしくない鬼だった。
虫も殺せない、優しくて繊細な俺のたった一人の弟。
それを奪ったのは――。
「だーれだ」
耳元で声がする。
「……!」
体が動かない。
指先一つ動かせない。
他の奴らは?
静かすぎる。
ここに俺とあいつしかいないかのように。
――あの時と、同じだ。
「あ、ごめん、このままじゃ喋れないよね」
あいつがそういうと、首から上だけが動かせるようになった。
目を開ける。
暗い。電気がついていない。
だが俺の横に立っている醜悪な妖気だけは伝わってくる。
「お前……」
「や、久しぶり」
あいつは軽く手を上げた。たぶん、笑っている。
あいつが笑ってない顔なんて見たことがない。
「俺を、殺しに来たのか?」
「そんなことしないよ、こんなところで。それに僕は君の力を高く買ってるんだ。まだまだ君には働いてもらわなくちゃ困るんだよねぇ」
言いながら、俺の首に下がっているペンダントを指でなぞる。
吐き気と憎悪。耳鳴りがやまない。
真っ黒な奴の顔を、全力で睨み上げる。
「これ以上、俺に、何しろってんだ……!」
「そんな顔しないでよ。君があんなに嫌そうに仕事してたのは、弟くんに会いたかったからだろう?」
「黙れ……!」
俺は素早く起き上がり、伸ばした爪であいつの首を切り飛ばした。
首はごろりと転がり、月夜に照らされる。
血は出ない。体はそのまま立ち尽くしている。
照らされた首は、やはり笑っていた。
「そうそう、その『嘘を本当にする力』。それがないと僕たちの計画は成功しないんだよ。賢い君ならわかるだろう?」
刹那。
体は鬼の体を蹴り飛ばし、ベッドに突っ伏した鬼に馬乗りになって拘束した。
関節を固められ、現世に逃げることもかなわない。
そう。
ここは常世。
こいつが作り出したもう一つの世界。
黒い煙が首と体をつないだ途端、糸を引くように首が浮き、体と繋がった。
「君が僕には逆らえないってことも、さ」
「クソ野郎が……」
耳元で話しかけるおぞましい声に悪寒を感じずにはいられない。
それすらも楽しむように、あいつは俺に馬乗りになったまま語りかけてくる。
「仲良くしようよ。弟くんも君に会いたがってたよ?」
「なに……?」
「あの時必要なかったのは君のご両親だけだったからさ。弟くんは別のところにいる。今はね」
「貴様……‼」
怒りで視界が真っ赤に染まる。
そんな俺をあざ笑うように、固めている腕を強くする。
痛みと怒りで頭がおかしくなりそうだ。
「大丈夫。君はいつも通り過ごしてくれればいい……その代わりと言ってはなんだけど、あの大学の人間たちの監視をしてくれないかい?きっと向こうも僕たちのことを知りたがってるだろうからさ。出す情報はこちらで選定するよ」
「……死んでもお断りだ……‼」
「……君に拒否権はないよ」
言うと、あいつは俺の心臓めがけて静かに手を突っ込んだ。
痛みはなく、ただ内臓を内側から撫でられる感覚があるだけだ。
気味が悪い。気持ち悪い。
「やめろ……!」
「嘘をつくのは得意だろう?『サグメ』」
あいつが俺の名前を読んだ途端、心臓に冷たい感覚が走る。
これが、あいつの呪い。
生かすも殺すもアイツ次第。
殺してほしくとも死ねない。
生きたくても生きられない。
あの女の呪いとは格が違う、永遠の監獄。
「はあっ……!はぁっ……!」
あいつの手が離れたが、俺は動くことができなかった。
汗と涙でぐしゃぐしゃの顔を満足げに眺めたのち、あいつは俺に背を向け歩き出した。
「アシヤイオリとカガリサツキ……遭える日が楽しみだよ」
パーテーションの向こうにあいつが消えた瞬間。
ざわざわ。ざわざわ。
そこには数分前に見たものと変わらぬ風景があった。
一反木綿が漂い、鬼火が雲外鏡と今日のテレビについて話している。
「………………ごめんな、アザミ」
嘘つきの鬼は涙を一つ零し、眠りに落ちた。
天邪鬼の件 完