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天邪鬼の件 第拾玖話

2023/03/09  11:03
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 鬼が目覚めたのは、女が消えてから四日後のことだった。
 最初に目に入ったのは、キコの姿。

「キコ……?」

 キコが泣きそうな目で鬼に飛びついたことに、病室の入り口にいたカガリが気が付く。
 彼女は先日のやり取りなど嘘のように顔を明るくさせながら鬼の元に近づいてきた。

「鬼さん!目が覚めたんですね!」

「お前……なんで……」

「キコちゃんがお見舞いに行きたいって言ってたんで連れてきたんですよ!ほらこれ!」

 見ると、カガリの手には小さなペットボトルに数輪の花が活けてある。
 キコが手ずから摘んだのだろう。アパート付近で見たことのある小さな雑草の花々だった。

「キコ……本当に戻ってこれたんだな」

 鬼がキコの頬をそっと撫でると、嬉しそうな泣きそうな顔をくしゃくしゃにした。
 ほつれた着物は仕立て直され、抱えているぬいぐるみも繕われて元の可愛らしい姿を取り戻していた。
 午後の陽だまりの中ではにかみ合う二人はまるで、本当の兄妹そのものだった。

「鬼さん……」

「……サグメだ。お前も用があるんだろう」

 鬼――サグメはゆっくりと体を起こし、キコに優しく微笑みかける。

「キコ。兄ちゃんたち今から二人で話がしたいんだ。五分だけ時間をくれないか?」

「……」

 キコは小さくうなずき、カガリをちらっと見てからとたとたと駆けていった。
 病室に残された二人の空気が、ほんの少しだけ重くなる。

「近くのナースステーションでヌラさんが待ってるので、大丈夫ですよ」

「……そうか」

「サグメさんに、渡したいものがあるんです」

 カガリはサグメに歩み寄ると、小花柄のハンカチに包まれた何かを彼に手渡した。
 ハンカチを開いてみると、中には小さなロケットペンダントが入っていた。
 見た目は簡素な銅色の楕円型で、表面には細かく植物の意匠が彫られている。

「これ……!」

「女の人がベンチに置いていった物の一つです。サグメさんの物なら、返さないとって思って……」

「中身を見たのか?」

「い、いえ。アシヤさんがそうだって言ってたんです」

「……」

 中を開くと、そこには二人、じゃれ合いながら笑っている二人の小鬼がいた。
 一人はサグメその人、もう一人はサグメの面影のある、さらに幼げな鬼だった。

「……弟がいたんだ」

「え……」

「もういない。両親が両方とも遊び人のクソ野郎だったから、ほとんど二人で生きてきたんだ。親は裏稼業で稼いだあぶく銭で遊んでは借金をして……いろんなところから恨みを買ってたらしい。俺が外で仕事をしている間に家が火事になって、それに巻き込まれた。誰も住んでない廃墟に住んでたから、全部焼け落ちても誰も助けに来なかった」

 訥々(トツトツ)と語るサグメに表情はない。
 カガリはそれをただ、黙って聞いている。

「……これが最後の形見、なんだ」

 サグメはペンダントを固く握りしめ、俯いた。
 彼の小さな嗚咽が、静かな病室に響く。
 窓の外の景色は春爛漫で、とても暖かい陽が差していた。
 日向と日影が色濃く彼のベッドに横たわっているのを、カガリはじっと見つめていた。

「……これは私の師匠の受け売りなんですが」

 カガリはサグメの涙が落ち着いたころに、手に持っていたキコの花を(カタワ)らの棚の上に置く。

「『自分に正直になったときから、本当の人生が始まるんだ』……って」

「……?」

「それを言われたのが十歳のころなんですよ。わかんないですよね、そんなこと言われても……」

 カガリの話を、今度はサグメがじっと聞いている。

「……その日は両親の七回忌だったんです」

「!」

「その頃にはもう私は泣くのをやめて、みんなの前では笑顔でいようって決めてたんです。みんなを困らせないように。……たぶん、バレちゃってたんでしょうね、お師匠には。私が寂しいって思ってたこと。泣くのを我慢してたこと」

「……」

「お師匠にだけは今だに嘘をつけません。あの人のおかげで自分への嘘のつき方も、もう忘れちゃいました。でもそしたらなんだか楽になったんです!重荷がなくなったみたいに。寂しくてもいいんだ、泣いてもいいんだって。……だから、サグメさんも」

 沈黙するサグメにカガリは笑いかける。
 サグメを対等な者としてみる目。
 妖でもない。
 鬼でもない。
 ひったくり犯でもない。
 その目は、()()()を見ていた。

「自分に正直になってみましょうよ!――サグメさんの弟さんのためにも!」

 鬼はしばらくきょとんとしてカガリを見ていたが、言葉の意味を理解すると困ったような顔をする。

「……鬼の俺にそれを言うなんて、(コク)な奴だな」

「だってキコちゃんを見ていれば分かりますよ!サグメさんが優しい鬼さんだってこと!キコちゃんすっごい心配してたんですからね!ヌラさんも、アパートの方々だって……」

「……それが、嘘だったとしても?」

「え?」

「アイツらを騙そうとして嘘をついたとしていても、お前はそんなことが言えるのかよ?」

 それは、サグメの純粋な問いだった。
 カガリを攻めるでもなく、照れ隠しでもない。心からの質問。
 その問いに、カガリも純粋に答えを返す。

「みんなが笑顔になれる嘘なら、最後まで突き通せばいいんですよ!なんていうんだっけ、そう――」

 カガリは笑っていた。
 待ちきれなくなってキコがぱたぱたと入ってくるのが視界に入ってきたのだ。
 ヌラもそれを見て、笑っている。
 キコも嬉しそうだ。
 
「――『嘘も方便』ですよ!」

 そして嘘つきの鬼も、笑った。


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