天邪鬼の件 第拾伍話
「……夜行事件」
「お前のことは知っていた。術師界隈じゃ有名だからな」
「え?」
「だがその話は後だ。まずはあの死にかけの鬼を何とかするのが先だ」
「何か方法があるんですか⁉」
泣きそうな顔で詰め寄るカガリに、アシヤは一瞬嫌そうな顔をした。
「アイツが助かる方法はただ一つ……呪いをかけた相手を暴くことだ」
「誰が呪いをかけたのか……見つけ出すだけでいいんですか?」
「見つけ出すこと自体が厄介だ。少しでも後れを取ればこっちがやられる。向こうの呪いをかける条件、呪いの種類、何を代償にしているかをこちらで見つけださないとならない」
「……」
「だから、ここから先は死ぬ覚悟が必要だ」
アシヤはもう既に呪いの分析を始めようとしているのだろう。カバンから何やら万年筆や紙、謎の装置のようなものを取り出している。
「それは?」
「呪いの根源をたどる、逆探知機のようなものだ。向こうにバレれば反動でこっちがやられるがな」
「逆探知……」
「これを動かしている間は動いてはならない。声を出すことも。相手に気づかれないよう、息をひそめるんだ。……お前にできるか?」
てきぱきと装置を組み立てているアシヤをしばらく見つめ、カガリは答えを出した。
「……やります。私にできることなら」
「……そうかよ」
アシヤにとっても、彼女の答えはわかりきっていた。
だがそれは、あまりにも無謀な前向きさ。
自己犠牲に並ぶほどの献身性。
だが今は、それを咎めている余裕はない。
「アシヤさんは?」
「僕はその間、鬼の呪いの進行を止める。カスミさんと一緒に」
アシヤが目を向けている先には、カスミが真剣な面持ちで立っていた。
「アシヤ君、これを使って」
そういうとカスミは黒く汚れたハンカチを差し出した。
「僕たちは仕事柄、呪い消しの術を身にまとっている。念のため君にもかけておくけど、逆探知の反動はこれも貫通するから気を付けて」
「はい……!」
「……事情は僕も知っている。でもその話は、鬼さんが峠を越えてからにしよう」
「……」
アシヤがカガリに装置の説明をする。
その装置は和紙を下敷きにして、万年筆が中央に立っている状態で静止していた。万年筆は紐で括りつけられており、紐は糸車のようなものを介し、黒い木の棒で支えられていた。支柱の上にある盆の上には先ほどのハンカチが乗せられている。そして糸のもう一つの終着点には、金の紋様をまとった、水晶のような透明な球体があった。
「お前はこの球を握ったまま、目を閉じてただ待てばいい。さっきも言ったように、動かず、何もしゃべるな。もし周りで何か起きたとしても、反応してはならない。僕からの合図は、左手首を握ることだ」
「わかりました……!」
「……お前が、鬼の人質になったとき」
アシヤがぽつりとつぶやく。
「あの時に少しでも動いていたら、どれだけ喚こうが家に帰していたと思う。そして無理にでも移籍させた」
「アシヤさん……」
「……裏切るなよ、愚直脳筋」
アシヤはそのままカスミとともに集中治療室へと歩きだす。
カスミは去り際に、一言だけ残して出ていった。
「健闘を祈るよ」
***
「ふうぅ……」
カガリは一つ、大きな深呼吸をした。
カガリの育て親の家は道場だ。
そこで様々な武芸を学び、高校の時には何個も賞を取っている。
道場で鍛え上げられたカガリの体幹は強く、正座で構えたその姿は小柄ながら大木のようにずっしりと安定していた。
今から挑む相手は試合とは異なる、命のやり取り。
負ければこちらの命が取られる。
カガリは今ようやく、アシヤたちがゼミに来る者を毎回追い出していた理由が分かった気がした。
彼らは、希望を捨てていないのだ。
だから試し、脅し、去られる。
自分たちと、真に共に歩んでくれる者を探し続けている。
もし、私がその一人になれるのなら。
そう考えた瞬間、胸の奥から何か熱いものが込み上げてきた。
それはどんな呪いにも負けない、強い意志。
カガリは再び深呼吸して、育て親がよく言い聞かせてきた言葉を反芻する。
「勝てなくてもいい、絶対に負けない……」
カガリが試合で負けるたびに、頭を撫でながらかけてくれた言葉。
その言葉は、いつしか誰にも負けないしなやかな芯となった。
「大丈夫ですよ、アシヤさん」
カガリは一人、誰にも聞こえない声で呟く。
「その期待、超えて見せます」
カガリは心を決め、逆探知機の水晶に手を伸ばした。