天邪鬼の件 第拾肆話
「カスミさん!」
慌てて入ってくるカガリたちを手で制するカスミ。
妖専門の総合病院は数が少なく山奥にある。だが、陸陽大学もまた同じ山の奥にあるため、鬼は迅速に病院に連れていくことができた。
――だが。
「状況は?」
「芳しくないね。かなり強い呪いだよ。体内にある根源を取り除かないといけないが、そうすると医者の方も危ない」
「……」
黙り込むアシヤをふと見たカガリ。
その表情は暗く、怒りに歪んでいた。
――まるで、誰かを恨むような。
「アシヤさん――」
「カスミさん、ちょっといいですか」
カガリがアシヤに声をかけようとしたところに、集中治療室から出てきた医者の一人がカスミに声をかけた。
その手袋は黒く汚れ、顔面は脂汗でびっしょり濡れていた。
医者とカスミが待合室を出ていくと、その場にはアシヤとカガリだけが残された。
「どうして……」
がんっ。
アシヤが集中治療室の窓を殴りつけた音。
拳はそのままに、その先にいる鬼を睨みつける。
「やっぱりまだ生きてやがった……!」
「あ、アシヤさん、鬼さんに何があったんで……」
「……これ以上首を突っ込むな」
「そんな!」
「僕たちが相手しているのは、ああいうことを平気でする連中だ……」
鬼は顔面蒼白で、時折ごぼっと黒い液体を吐いている。
これが、呪いの力。
妖の命を奪う邪の力。
素人のカガリにもなんとなくわかるほど、辺りは澱んだ空気に包まれていた。
「……」
「もっとお前は、妖を恐れるべきだ。今回はたまたまうまくいったかもしれないが、少しでも逆鱗に触れれば、お前もああなっていたかもしれないんだ」
「……なんとかする方法は、ないんですか?」
「首を突っ込むなと言ったはずだ」
アシヤはカガリのパーカーを掴む。
「素人の学生にできることなんざ一つだけだ。――今すぐ帰って、清めの塩を撒く。以上だ」
「……鬼さんの話をした時のキコちゃん、覚えてますか?」
「……」
「とても心配してました。あの子があんなに心配する相手が悪者だって、私は思えない」
「だからって……」
「言われた通り、私は素人です。アシヤさんにもカスミさんにも到底かなわない。目の前で起きていることを何とかする力も、私にはないかもしれない、でも」
カガリはアシヤの手首をつかむ。
力強くまっすぐな目で、アシヤを見つめる。
「生き延びてしまった私の命に、『逃げる』という選択肢はありません」
***
アシヤは沈黙する。
この眼は、僕の嫌いな眼。
なのに今、なぜか目がそらせない。
この眼は、危険すぎる。
彼女は自分を犠牲にしてでも、周りを助けようとしている。
……なぜ?
アシヤはカガリのパーカーから手を離すと、待合室の椅子にどっかりと座った。
「時間稼ぎに聞いてやるよ。このままがむしゃらに動かれても困るからな」
「……」
カガリは治療室の窓にそっと手を当て、鬼を見つめながら話し出した。
「四歳の時に、私は両親を亡くしました。――夜中に目が覚めて、リビングに降りたら。金の眼の妖に殺されている二人が、そこにいました」
「……」
「妖は私のことも手にかけようとしたみたいですが、……よく覚えていません。気がついたら病院にいた、ということだけ」
カガリは淡々と、かつての凄惨な状況を言葉にする。
アシヤは、何も言わなかった。
「お師匠も今の家族も、本当に良くしてくれました。本当に感謝してるんです」
「……」
「泣いてばかりだった私に立ち上がる勇気をくれたのは、私のおじいちゃんです。妖を恨む心を変えてくれたのは、私のお師匠です。戦う力を教えてくれたのも、誰かを守る大切さも、人と妖の違いを分かりあうことの尊さも。……全部、道場にいる家族みんなが教えてくれた」
カガリの声は、だんだんと震えを帯びていく。
いつの間にか窓に当てていた手も拳に変え、震わせている。
「……だから、これは私自身の問題なんです。金の眼が何者だったのか、なぜ私の両親を手にかけたのか、未だわからない。でも……それでも私はずっと探してるんです。誰にも迷惑をかけないように、一人で。またあの妖が誰かを手にかけようとしているとしたら、絶対に止めたい。……ううん、それだけじゃない……」
そして、窓越しにいる鬼に話しかけるように。
……否、窓に映る自分に話しかけるように、カガリは声を振り絞った。
「……もう目の前で、誰も失いたくない……」
「……」
長い沈黙が訪れる。
永遠のように感じられるほど、長い長い沈黙。
カガリもアシヤも、その場の空気を破ることはしなかった。
突然状況を変えたのは、鬼の容体が悪化した瞬間だった。
機械のアラート音が鳴り響き、医者の動きがより忙しくなる。
「鬼さん……!」
「……ここまでのようだな」
「そんなのだめです!何もできないのは嫌です!」
泣きそうな顔で訴えかけるカガリ。
彼女の顔を見ることなく、アシヤは淡々とつぶやく。
「……お前のその考え。傲慢で、自分勝手で、無鉄砲かつ無意味だ」
「……っ!」
「だが、もし本当にその意志を変える気がないのなら――」
アシヤはそこですっくと立ち上がり、カガリの目を見据える。
危ういほどにまっすぐな目。
僕は、この眼を知っている。
ここでそらしてしまえば、僕の負けだ。
今はまだ、その時ではない。
「僕たちとともに死んでみせろ。夜行事件の生き残り――カガリサツキ」